ホルムズ海峡「選別的通航許可」体制下の
石油輸入実態と数量的評価

保険による封鎖・中国・ASEAN ― 三つの視点から読む危機の構造
2026年4月4日時点 | 公開情報に基づく分析 | Kpler・UANI・Lloyd's List Intelligence・Vortexa・TankerTrackers 等のデータを参照

要旨

2026年2月28日の米・イスラエルによるイラン攻撃以降、ホルムズ海峡は「事実上の封鎖」から「IRGC管理下の選別的通航許可」体制へ移行した。しかし海峡を閉じたのはミサイルや機雷ではなく、ロンドンの保険会社による戦争リスク拡張条項の取消通知だった(第Ⅰ章)。開戦前に日量138隻だった通過量は日量13隻前後に激減し、3月1〜26日の商業船舶通過は95%減少した(Kpler)。中国はイラン産ゴーストフリート経由で日量約122万バレルの原油を維持しているが、非イラン産湾岸原油(日量約410万バレル)はほぼ喪失した(第Ⅱ章)。ASEAN各国はイランとの個別交渉で「友好国」認定を獲得しつつあるが、保険コストという「見えない封鎖」が実際の通過量を制約し、域内では燃料危機・需要抑制策が常態化している(第Ⅲ章)。

I 保険が海峡を閉めた ― 商業的封鎖のメカニズム

保険市場が撤退したのは「全ての船が攻撃される」からではない。
「特定の船が特定の通過で生存するかどうかを検証するコスト」が、
その通過から得られる保険料収入を超えたからだ。

― Shanaka Peiris, "The Invisible Siege" (2026年3月)

1-1. 72時間の崩壊:保険が軍事に先行した

ホルムズ海峡を実質的に閉鎖したのはIRGCの軍事行動ではなく、ロンドン・オスロ・ニューヨークの保険会社が発出した取消通知だった。IRGCが実際に商船を攻撃し始めたのは3月1日以降だが、保険会社の取消通知は開戦から48時間以内に出されている。

2月28日(開戦日)
ホルムズ海峡の通過量は日量153隻の通常水準から105隻(約68%)に低下。少なくとも3隻のタンカーが海峡付近で攻撃を受けた。
3月1〜2日(保険の転換点)
国際P&Iクラブグループ(世界の外航船舶の90%に賠償責任保険を提供する12社の相互保険組合)のうち、Gard、Skuld、NorthStandard、London P&I Club、American Club を含む大手が、ペルシャ湾・オマーン湾・イラン領海における戦争リスク拡張条項の72時間前取消通知を発出。取消し有効日は3月5日。
3月2日
IRGC顧問ジャッバーリーが「海峡は閉鎖された。通過しようとする者は炎に包まれる」と声明。同日、海峡通過は13隻(通常の8%)に激減。タンカーは1隻のみ。
3月3日
Maersk、CMA CGM、Hapag-Lloydが海峡通過を全面停止。ロイズの戦争保険料率は0.125%から1.5〜3%に急騰(上限では24倍)。
3月5日
P&I戦争リスク拡張条項の取消しが正式発効。これ以降、ペルシャ湾内の船舶は戦争起因の損害について賠償責任保険のカバーを失った。海峡通過はほぼゼロに。
3月8日
Brent原油が100ドル/バレルを突破(4年ぶり)。戦争保険料率は5〜10%へさらに上昇。

1-2. 海上保険の多層構造:一つが欠ければ航行不能

外航商船の保険は多層構造であり、すべてが揃わなければ商業的に航行不能となる。

外航商船に必要な保険の多層構造
船体保険(Hull Insurance)
船体そのものの損害をカバー
船体戦争保険(Hull War Risk)
戦争・テロ・機雷等による船体損害。平時は低率(0.125〜0.25%)だが紛争時に急騰
P&I保険(賠償責任)
油濁・衝突・乗員死傷等の第三者賠償責任。12社のP&Iクラブが世界の90%をカバー。取消不能
P&I戦争リスク拡張条項
P&I保険に付帯する戦争リスクの上乗せカバー。← ここが72時間通知で取消された
貨物保険(Cargo Insurance)
積荷の損害・遅延をカバー。荷主が付保
すべてが揃って初めて「商業的に航行可能」

P&I保険本体は取消し不能だが、その「戦争リスク拡張」部分は別枠であり、再保険会社がリスク引受を撤退すればP&Iクラブは拡張条項を取消す。3月5日以降、ペルシャ湾内の船舶が戦争起因で損害を受けても、P&Iの戦争拡張は適用されない。油濁や乗員死傷が発生した場合、船主は数億ドル規模の賠償を無保険で負う。

指標 開戦前 3月上旬 3月中旬〜 変動率
船体戦争保険料率(対船体価額) 0.125〜0.25% 1〜3% 5〜10% 最大80倍
1.2億ドルVLCCの1回通過あたり保険料 $15万 $120〜360万 $600〜1,200万 最大80倍
原油1バレルあたり保険コスト上乗せ ~$2 $6〜18 $30〜60
VLCC日額チャーター料 $10〜15万 $30〜54万 $54〜77万 3〜5倍
船籍による差別的料率
ロイズのデータによれば、イランが明示的に標的とした米・英・イスラエル系の船舶は、他の船籍の約3倍の保険料を請求された。ギリシャ船籍のVLCCが船体価額の1.5%であれば、米国船籍は5%以上、あるいは引受拒否。海峡は事実上の「二層制」となり、船籍・所有国によって航行の商業的実行可能性が根本的に異なる状態が出現した。

1-3. なぜ1980年代のタンカー戦争と異なるのか

タンカー戦争(1984〜88年)

攻撃が数年かけて漸増。保険市場は段階的に価格調整

P&Iクラブの一括取消はなし。保険料は上昇したが常に利用可能

再保険市場は分散的で連鎖崩壊のメカニズムが弱い

米海軍 Operation Earnest Will(護送船団)が1987年から稼働

約540隻が攻撃されたが航行は完全には停止せず

2026年ホルムズ危機

開戦から48時間で保険市場が崩壊。断崖的撤退

P&Iクラブ12社中大手が一斉に戦争拡張条項を取消し。前例なし

再保険市場はSolvency II規制下で集中化。一社の撤退が連鎖

米海軍は対イラン作戦と護送の資源競合で能力制約

通過量が24時間で80%減少。過去に類例のない速度

決定的だったのは紅海の消耗である。2023年末からのフーシ派による商船攻撃で、バブ・エル・マンデブ海峡の戦争保険料は0.05%→1.0%(20倍)に上昇、南部紅海のトランジット量は65%減少していた。船舶が喜望峰回りにルート変更したことで保険料収入は減少し、残存する通過船舶への支払いは増加し続けた。2026年2月時点で海上戦争保険の資本バッファは「近代海上保険史上最も薄い状態」にあり、ホルムズ危機は空洞化したシステムに衝突した。

1-4. 現在通過している船舶の保険状態:3つの層

第1層 ゴーストフリート(通過全体の60%以上)

イラン産原油を中国向けに運ぶゴーストフリートは、元々西側の保険体系の外側で運用されている。AIS切断、偽船籍、ペーパーカンパニーによる所有構造を持ち、ロイズの戦争保険やIG P&Iクラブの保険を使っていない。代わりにニュージーランドのMaritime Mutual Insurance Association(MMIA)等の非主流保険会社が「影の保険」を提供していた(2025年10月Reuters調査)。西側保険市場の崩壊はゴーストフリートの運航に直接的な影響を与えていない。

第2層 IRGC許可・個別付保の「グレー」通過

IRGCの許可コード(仲介者経由)を取得し、ロイズのシンジケートから個別に高額な戦争保険を買い付けて通過する船舶。LMAの調査では回答者の88%が引受意欲を維持しているとされるが、実際の見積もりは船体価額の5〜10%に達する。乗員が有する乗船拒否権(高リスク海域での割増賃金・拒否権は業界標準)も実運航のボトルネックとなる。

第3層 「ダーク・トランジット」(事実上の無保険通過)

AISトランスポンダーを切り通過する「ダーク・トランジット」は、IMO規則(SOLAS条約V/19規則)違反であり、残存する保険カバーも無効化される。少なくとも1隻のギリシャ船籍タンカーがこの方法で海峡を脱出したことが報じられている。船体・積荷・乗員のすべてが一切の補償なしとなる極限的判断である。

1-5. 米国200億ドル再保険プログラムの現状

トランプ政権は米国国際開発金融公社(DFC)を通じた200億ドルの再保険プログラムを発表した。しかし4月4日時点で詳細は未発表であり、約款・カバー範囲・引受プロセスは明らかにされていない。仮にプログラムが稼働しても、保険料の低減は「船を動かすためのコスト」を下げるだけで、「船を動かすためのリスク」は変わらない。トランプ大統領自身が「イランの機雷敷設船を破壊しても、船主が通過する意思がなければ通常運航は再開しない」と認めている。

以降の章を読む上での前提
第Ⅱ章(中国)・第Ⅲ章(ASEAN)で分析する「選別的通航による輸入」は、この保険メカニズムの制約下にある。外交的な通過許可があっても「商業的に航行不能」な状態は続いており、ASEANの個別交渉が実際の供給回復に結びつかない最大の理由がここにある。現在海峡を通過している船舶の大半は正常な商業航行ではなく、ゴーストフリート・IRGC許可個別通過・無保険ダーク・トランジットのいずれかである。
◆ ◆ ◆
II 中国 ― ゴーストフリートと備蓄の二重防御

2-1. 戦前基準値:ホルムズ依存の規模

中国は世界最大の原油輸入国であり、日量約1,100万バレルを消費する。そのうちホルムズ海峡を経由する原油は日量約535万バレルで、中国の原油総供給量の約3分の1を占めていた。ただし、Nomura の分析によれば、ホルムズ経由の石油輸入は中国の一次エネルギー消費全体の6.6%にすぎず、天然ガスを加えても7.2%にとどまる。

535
万 bpd
戦前のホルムズ経由
中国向け原油
~122
万 bpd
戦後の通過量
(イラン産のみ)
77%
ホルムズ経由
供給喪失率
13
億バレル
戦略・商業備蓄
(約4カ月分)

2-2. イラン産原油の「特権的通過」:ゴーストフリートの実態

ホルムズ海峡が「事実上閉鎖」された中でも、イラン産原油の中国向け輸出は継続している。第Ⅰ章で述べた保険崩壊はゴーストフリートに影響しない ― 彼らは元々西側保険体系の外側で運航しているためである。

指標数値出典
開戦後にホルムズ通過した中国向け原油≥1,170万バレル(3/11時点)TankerTrackers
イラン産原油の戦後出荷ペース~122万 bpdCNBC / Kpler
戦前のイラン→中国出荷ペース(2月)216万 bpdKpler
戦後減少率(イラン産のみ)約44%減計算値
UANI確認のイラン原油積載回数≥27回(3/31時点)UANI
推定収益30億ドル超UANI
ペルシャ湾を出たゴーストフリートタンカー≥26隻(4/2時点)UANI
マレーシア沖EOPL で確認されたタンカー累計85隻(4/2時点)UANI 衛星画像
イラン→中国 ゴーストフリート経路(開戦後も稼働継続)
ハルグ島積載
ホルムズ通過
AIS OFF
EOPL マレーシア沖
STS瀬取り
中国(山東省等)

2-3. 非イラン産湾岸原油:ほぼ全面遮断

中国のホルムズ依存の本質的問題は、イラン以外の湾岸産油国(サウジ、イラク、UAE、クウェート等)からの日量340万バレル超が遮断されたことにある。浙江石化(ZPC)はサウジアラムコとの長期契約で原油の約60%をアラビア産に依存しており、CDUの定期修繕を前倒しで実施。Sinopec系福建製油所も3月初旬から処理量削減に入った。

2-4. 中国船舶の「選別的通航」の実態

3月5日
バルクキャリア「Iron Maiden」(上海 Cetus Maritime運航)がAISで「CHINA OWNER」を発信し通過。同日、IRGC が米・イスラエル同盟国のみ封鎖と声明。
3月1〜15日
中国関連船舶の通過は計11隻のみ。ほぼ全てがバルカー・一般貨物船で、主流中国船主のタンカーは通過ゼロ。(Lloyd's List Intelligence)
3月26日
アラグチ外相が中国・ロシア・インド・イラク・パキスタンの5カ国の船舶通過を公式に承認。
3月27日
国営COSCO の大型コンテナ船2隻(CSCL Indian Ocean、CSCL Arctic Ocean)がラーク島付近でIRGC海軍に警告されUターン。「敵対国港に寄港した」ことが理由。
3月31日
同じCSCL 2隻が再挑戦し通過成功。開戦以来初の中国国営大手による通過。
4月4日
Bloombergが「週間通過量が開戦後最高」を報道。イラン・中国リンクのない船舶の通過も増加傾向。

2-5. 代替調達と国内対応

対応策内容規模・時期
ロシア産海上原油の増量日量120万→180万bpdに拡大3月以降
米国産原油の購入再開日量約60万バレルの積載を4月に予定4月
燃料輸出禁止ガソリン・ディーゼル・ジェット燃料の輸出停止。4月も継続3/11〜継続中
燃料輸出の例外措置バングラデシュ・ミャンマー・スリランカ等向けに月15〜30万トン限定4月
LNG再輸出3月に8〜10カーゴを韓国・タイ・日本等に転売(記録的水準)3月
NDRCからティーポットへの指示過去2年の平均稼働率を下回らないよう指令4月第1週
ティーポットの在庫山東省2億600万バレル(10週間分)。4月末まで維持可能の見通し3/8時点
戦略備蓄約13億バレル(約4カ月分)。SPR放出には国家承認が必要Vortexa

2-6. 数量的評価:中国の供給ギャップ

供給源戦前(万bpd)戦後(万bpd)増減
ホルムズ経由:イラン産160〜216~122▲44%
ホルムズ経由:非イラン産湾岸~340~0▲100%
ロシア(海上)~120~180+60
米国産(海上)~0~60(4月予定)+60
国内生産+パイプライン~510~510±0
推定純喪失量▲~290万bpd

日量約290万バレルの純喪失は中国の原油輸入量の約26%に相当する。備蓄(13億バレル÷290万bpd=約450日分の喪失補填)と需要抑制で短期的には吸収可能だが、備蓄アクセスには政府承認が必要であり、精油所ごとの在庫偏在が実際の耐久力を制約する。

◆ ◆ ◆
III ASEAN ― 個別交渉と構造的脆弱性

3-1. 湾岸依存度の非対称性

原油輸入の湾岸依存率石油備蓄(日数)ネットポジション
フィリピン95%50〜60日ほぼ100%輸入依存
ベトナム88%30〜45日輸入依存
マレーシア69%唯一のネット輸出国
タイ59%65日輸入依存 / 肥料依存も深刻
シンガポール52%20〜50日精製ハブ / ジェット燃料拠点
インドネシア20%21〜23日国内生産あり / 財政的に脆弱
カンボジア / ラオス極少タイ・中国経由の再輸入に依存

3-2. 個別交渉の進展と実績

交渉時期合意内容実際の通過実績
トルコ3/5, 3/13ムスリム国・友好国として通過許可LPGタンカー等が通過
パキスタン3/1620隻分の通過許可1隻通過。便宜船籍の打診あり
インド3/13〜245隻のLPGキャリアがOp. Sankalp海軍護衛下で退避サウジ産100万バレル積載タンカーも通過
マレーシア3/26-27アンワル首相がペゼシュキアン大統領と直接交渉PETRONAS関連タンカーの通過報道あり
タイ3/23, 3/28アヌティン首相が通過合意を公表Bangchak社タンカー1隻が通過(2週間滞留後)
インドネシア4月初旬外務省がイランとの交渉経路を確立Pertamina 2隻がサウジ産原油を積んで通過
フィリピン4/1-2アラグチ外相が安全通過を保証実通過はこれから(4/4時点)
バングラデシュ3月下旬「友好国」リストに追加詳細未公表

4月初旬の新展開として、フランスCMA CGMのコンテナ船「Kribi」が西側船舶として開戦後初の通過(4/2)、オマーン管理下のVLCC 2隻とLNGタンカーがオマーン沿岸ルートで通過(4/2-3)。イランとオマーンは通航の「監視プロトコル」を共同策定中。

3-3. 需要量 vs 実際の通過量:定量的ギャップ

第Ⅰ章で述べた保険の構造的制約が、外交交渉と実際の通過量の間に桁違いのギャップを生んでいる。

戦前の湾岸産原油
日量推定(万bpd)
通過実績(4/4時点)充足率
タイ~60タンカー1〜2隻(数万bpd相当)<10%
フィリピン~30ロシア産70万バレル到着。ホルムズ通過はこれから<5%
インドネシア~10Pertamina 2隻通過~20%
ベトナム~40イランとの合意報道なし。中国から10万バレル供給<3%
シンガポール~50個別合意なし。製油所が処理量削減<5%

3-4. 通過を阻む構造的制約

ASEAN各国が「友好国」認定を得ても、以下の3障壁のうち外交交渉で対処できるのは①のみである。②③は第Ⅰ章で分析した保険メカニズムに由来する構造的問題であり、外交では解決できない。

① IRGCの攻撃リスク ― 「友好国」認定で低減可能。ただしIRGCの現場運用は不透明で、中国COSCO船が「敵対国港に寄港した」として追い返された例がある。通過料(一部で200万ドル、人民元・暗号通貨受付)の支払いも求められる場合がある。

② 禁止的な保険コスト ― 船体価額の5〜10%。1億ドルのVLCCで500〜1,000万ドル/回。ASEAN諸国の小規模タンカー運航会社には事実上不可能。タイのBangchakタンカーが通過合意から実際の通過まで2週間を要した理由の一つと考えられる。

③ 積地側の制約 ― サウジのラスタヌラ、UAEのフジャイラ等がIRGCの攻撃を受けており、40以上のエネルギー施設が損傷。サウジの東西パイプライン迂回出荷は日量300〜400万バレルが上限。

3-5. 域内の現実的影響

影響事例
フィリピンガソリン価格1カ月で50%超上昇。公務員週4日勤務制。「国家エネルギー緊急事態」宣言(3/24)。ロシア産原油を初輸入
タイディーゼル価格上限設定。石油輸出禁止。Rayong Olefins がナフサ調達不能で操業停止
ベトナム備蓄30〜45日。航空便キャンセル多発。ハノイの観光業に打撃
ラオスガソリンスタンドの40%以上閉鎖。週3日登校制導入
カンボジア燃料価格68%上昇。配給制導入
シンガポール精製ハブとして原料不足が波及。Aster Chemicals がフォースマジュール宣言
インドネシア備蓄21〜23日。Chandra Asri Pacific がフォースマジュール
ミャンマー偶数日・奇数日の交互走行規制導入

3-6. 中国の対ASEAN燃料供給:地政学的レバレッジ

中国の燃料輸出禁止はASEANの燃料危機を深刻化させたが、同時に選択的な例外供給が地政学的ツールとして機能し始めている。フィリピンのディーゼル輸入の半分以上を中国が供給し、ベトナムにも10万バレルを送った。4月にはバングラデシュ・ミャンマー等向けに月15〜30万トンの限定輸出が検討されている。北京はこの危機を米国批判とアジアにおける影響力拡大の機会として位置づけている。

◆ ◆ ◆
IV 総括:二重封鎖と選別的通航の構造的限界

ホルムズ海峡は「完全封鎖」から「IRGC管理の許可制」へ移行しつつあるが、4月4日時点のBloombergの報道で通過量が「開戦後最高」に達したとはいえ、依然として戦前の日量138隻に対し桁違いに少ない水準である。

本レポートが示す核心的な構造は、ホルムズ海峡の封鎖が「二重封鎖」であるという事実である。軍事的封鎖(IRGCの攻撃・機雷敷設・脅迫)と商業的封鎖(保険の崩壊・乗員拒否・禁止的コスト)が同時に成立しており、どちらか一方が解消されただけでは航行は回復しない。ASEAN各国の個別交渉は軍事的封鎖を部分的に緩和するが、商業的封鎖には対処できない。

中国はゴーストフリートによるイラン産原油の継続輸入(日量約122万bpd)、13億バレルの備蓄、ロシア・米国からの代替調達拡大により、短期的には国家レベルでの破綻は回避できる。しかし非イラン産湾岸原油(日量約340万bpd)の喪失は数カ月以内にティーポット精油所の稼働率低下、大型精油所の定修前倒し、そして備蓄の不可逆的消耗として顕在化する。

ASEANにとって、個別交渉は「全く通過できない」から「散発的に通過が可能」への改善であり外交的には意味があるが、保険コスト・積地制約・IRGC運用の不透明性が通過量を制約し、戦前の供給水準の10%にも回復していない国が大半である。域内最脆弱国(ラオス・カンボジア・ミャンマー)は既にエネルギー危機が社会機能の縮小を引き起こしている。

構造的に見れば、保険が海峡を閉めたのであれば、保険が海峡を開ける条件の整備 ― 米国の200億ドル再保険プログラムの実効化、あるいは停戦による戦争リスク区域指定の解除 ― が、外交的な個別交渉と並んで海峡再開の鍵を握っている。4月6日の一時停戦期限後の展開が決定的に重要である。

主要データソース:Kpler(海運追跡・原油フロー分析)、UANI(Iran War Shipping Update、3/19〜4/2の連日レポート)、Lloyd's List Intelligence(船舶追跡・中国関連通過データ)、TankerTrackers.com(衛星画像ベース追跡)、Vortexa(中国精油所在庫・ストレステスト分析)、Windward Maritime AI(海峡通過の日次モニタリング・保険崩壊分析)、Bloomberg(VLCC動向・オマーンルート・通過量トラッカー)、CNBC(イラン産原油データ)、S&P Global Market Intelligence(海上戦争保険市場分析)、Lloyd's Market Association(戦争保険利用可能性声明、3/23)、Insurance Journal / gCaptain(保険料推移・DFCプログラム)、Dr. John Hatzadony, Irregular Warfare(保険と非正規戦の分析)、Shanaka Peiris, "The Invisible Siege"(保険市場崩壊のメカニズム分析)、Maybank IB(ASEAN依存度分析)、The Diplomat(ASEAN各国交渉動向)、Reuters(中国燃料輸出禁止・ティーポット動向)。本レポートは公開情報に基づく分析であり、AIS遮断・ゴーストフリートの性質上、実際の通過量は記載値より多い可能性がある。Brent原油はピーク時126ドル/バレル、4月初旬は100〜114ドル/バレルで推移。